KIDs FUN

寒いんでニット帽をかぶってお店へ。

このニット帽、最近、出てきた。

記憶が定かではないが、幼い頃にスキーをした時にかぶっていたような…

一体何年前のものだかわからないくらい昔のもの。

それが最近、出てきた。

その存在すら忘れていたのだが、見た瞬間、胸が痛くなった。

それはなつかしさという痛みだけじゃない。

ニット帽の犬が、今年の1月31日に亡くなったうちの仔に似ている気がする…

そんなに似てるわけじゃないんだけど、なんかね…

垂れ耳なところ、色合い…

なんかそんなところがね…

似てないんだけどね…

なんかね…

なんだろう、こんな話をしようと思ったんじゃないんだけどなぁ…

なんだろうなぁ…

もっと気を引き締めないといけない。

おこがましくもあずかっているのは “命” だということ。

あずかっているその仔は、その仔を迎えてくださる方々の大事な家族だということ。

そしてその仔は、この世に生を受けたこの世に代わりなどいないかけがえのない仔だということ。

自分の仕事をもっと真剣に考えなければいけない。

責任を持つということがどういうことか、もっと真剣に考えなければいけない。

ifをもっと徹底的に考えなければいけない。

もっと真剣に。

もっと、もっと。

20081129やらなければならないこと

分厚い資料。
100枚以上はある。
でもこれもまだほんの一部。
やらなければならないことがある。
そのための資料。
寝る時間なんてない。
休んでる場合じゃない。
やらなければならないことがあるから。
資料の内容、やらなければならないことの中身をいつか話せる日がくると思います。
もしかしたらその時、皆さんに協力をお願いするかもしれません。
その時はお願いします。
その時は。

20081127荒川の土手1


20081127荒川の土手2


20081127荒川の土手3


20081127荒川の土手4


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今日は一日中雨が降ったせいで、おさんぽできなかったね。

お家でずっと留守番させちゃったね。

雨だからしょうがないけど、一日中留守番じゃあつまらないよね。

雨はやだね。

夜になると雨もあがった。

荒川の土手へおさんぽにいこう。

緑も土も砂もびちょびちょ。

ぬれちゃうね。

風もぴーぷー。

寒いね。

でも楽しいね。

おさんぽはやっぱり楽しいね。

びちょびちょになったって、寒くったって、楽しいね。

しっぽを振りながら緑の上を駆けるきみの姿が見れてうれしいよ。

きみの楽しそうな姿が見れるならなんだってするよ。

それがぼくのしあわせ。

きみの楽しそうな姿が見れて心からしあわせ。

ほんとうにしあわせ。

20081125荒川の土手1


20081125荒川の土手2


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20081125荒川の土手5


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20081125荒川の土手6


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昨夜降り出した雨もあがり、おさんぽ日和ないい一日に。

うちの仔と荒川の土手をおさんぽ。

ゆっくり、のんびり。

きみの楽しそうな姿が見れてとってもしあわせ。

ほんとうにしあわせ。

今日、hundehutteは2周年を迎えました。
皆様よりいただきましたお言葉、品々に胸がいっぱいです。
ありがとうございます。
皆様よりのお気持ちがとってもうれしいです。
本当に本当にありがとうございます。
2006年11月11日に開店して、早2年…
でもまだ2年。
心境はというと、2周年というのはあくまで数字であっていつもと変わらずといいましょうか、淡々としています。
日々、やるべきことはいっぱいあり、うかれたリ、感傷にひたっているわけにはいかないですし、そういううかれた気持ちになれないというのが正直なところです。
おこがましくもあずかっているのは、向き合っているのは “命” なので、日々、気を引き締めて臨むだけと心得ています。
これは変わらないですね。
そんなhundehutteをこれからもどうぞよろしくお願い致します。

ただのいぬ。


ふまれた草はいいました

痛いとか

悲しいとか

みじめなのではなく


ふまれなかった草と

何がちがうのか

それだけを

教えてほしいと


                    (『ただのいぬ。』文中より)



 毎日見ている犬里親募集や保護犬のサイトには、様々な理由から捨てられている仔たちがいっぱいいます…

 中には理由なんてなく捨てられた仔もいることだろう…

 でもこの仔たちはまだしあわせなのかもしれない…

 保護されることもなく、殺処分される仔たちもいるのだから…


 お店に遊びに来てくれる仔たちはみんな、とってもしあわせそうな顔をしている…

 そのしあわせそうな顔を見ていると、ぼくもしあわせになる…


『何がちがうの?』

 捨てられる仔、殺処分される仔はいいました…

 胸が裂けそうになる…

 涙があふれてくる…


 ぼくもそう思うよ…

 なんでこんなことになってしまっているんだろう…

 ごめんよ、ごめんよ…

 本当にごめんよ…


 みなさんも知っておいてください…

 命が捨てられている現実を…

 そして、忘れないでください…

 命が処分されているということを…


 すべての仔が笑顔ですごす日々を迎えられますように…





目を背けたくなる現実。
胸が締めつけられる。
辛くて苦しくてどうしようもない。
でも目を背けず見るべきだ。
そして知るべきだ。
この現実を。

 うれしいことにhundehutteからこいぬを迎えたいと言ってくださり、こいぬ探しのご依頼をくださっている方々がいらっしゃいます。
 そして最近、こいぬを迎えたいという方のご来店、ご相談のお電話が多くなってきました。
 ありがとうございます。
 わんちゃんと生活することが初めてでまったくわからないという方が多く、hundehutteがわんちゃんとの生活をスタートさせる第一歩になることができるのなら、この上ないしあわせです。
 こいぬを初めて迎えようと思っている方々からはこんな質問をよくされます。
『飼いやすい仔ってどんな仔ですか?』
『鳴きますか?』
『咬みますか?』
『トイレっておぼえられるものなんですか?』
『おさんぽってどれくらいすればいいんですか?』
『おとこのことおんなのこって、どちらの方が一緒に暮らしやすいですか?』
『仕事しているんで朝から夜まで留守番してもらうことになるんですけど、大丈夫ですか?』
『ペットショップを見に行ったり、インターネットで調べたりしてるのですが、こいぬを迎える際にかかる費用があんなにも違うのはなんでですか?』
 などなど…
 こいぬを迎えるということが不安でいっぱいという方もいらっしゃいますし、まったく初めてで何が何だかわからないという方もいらっしゃいます。
 その気持ち、ものすごくわかります。
 今でこそこういった仕事をしていますが、わたしもわんちゃんに関してまったく知識なく、一緒の生活を始めました。
 恥ずかしながら、
『ワクチン?何それ?病気もしてないのに注射するの?』
 みたいな感じでした(なつかしいなぁ…)。
 こいぬを迎える、そして、一緒に生活をするにあたり、不安だったり、わからないことだらけなのは当たり前。
 みんなそうです。
 そんな不安や疑問を解消していただくためにわたしのような人間がいるのです。
『こんな質問して恥ずかしいのですが…』
 なんて言わず、どんどんご質問ください。
 そしてわたしは、こいぬを迎えるにあたり、不安を抱いている方にこいぬを迎えていただけることほどしあわせなことはないと思っています。
 なぜって、抱いている不安はとても大切な気持ちだからです。
 迎えんとしているのは、物ではなく命です。
 命の大事さ、大切さを想うからこそ不安になっているのですよね。
 そんな気持ちを抱いている方に迎えられるこいぬはきっとしあわせになります。
 わたしは幸い、こいぬを家族に迎える際のお手伝いを数多くさせていただきました。
 その大半の方が初めてこいぬを迎えるという方でした。
 命の大事さ、大切さを想う方々に迎えられ、わんちゃんはみんな、とてもしあわせに暮らしています。
 命の大事さ、大切さを知るその心があれば、こいぬを迎える不安をきっと乗り越えられます。
 わたしはそう思います。

 ビションフリーゼ姉弟をお店に連れて来てからかなりの時間が経過しておりますので、その後のこいぬの見極めがかなり難航しているのがおわかりになるかと思います。

『皆さんがこの仔を家族に迎えようと心から想える仔と出逢うことが奇跡なように、私がお店に連れて来る仔と出逢うのも奇跡です。
 出逢う時は出逢いますが、出逢わない時は出逢いません。
 そういうものです。』

 というのが私の考えですが、hundehutteからこいぬを迎えたいと言ってくださり、こいぬがお店にやってくるのを待ってくださっている方々、こいぬ探しのご依頼をくださっている方々がいる今、申し訳ないという気持ちで日々すごしています。
 出逢いというのは自然の流れであったり、運命だと私は思っていますので、焦りはありません。
 ですが、待ってくださっている皆様に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 それでも待っていただくしかないのですが…
 まだ見ぬ仔との出逢いを信じてください。
 きっといい出逢いがあることを祈っております。

 うれしいことにhundehutteからこいぬを迎えたいと言ってくださり、こいぬがお店にやってくるのを待ってくださっている方々がいらっしゃいます。
 現在、こいぬ探しのご依頼をくださっている方々もいらっしゃいます。
 ありがとうございます。
 hundehutteでは、こいぬの身体・健康状態のチェックはもちろん、性質、性格といった素養なども見極め、お店に連れて来ることをモットーとしています。
 ブリーダーさんの元へ出向き、生まれ育つ環境をこの目で見て、ブリーダーさんの考えを聞き、このブリーダーさんの元で生まれ育った仔であれば安心ということを確認することも怠りません。
 身体チェックでお話をさせていただくと、歯の噛み合わせのチェック、頭蓋骨をはじめとする骨の形成のチェック、小型犬であれば膝蓋骨のチェック(生まれながらに膝の関節がゆるく、歩行に支障が起こる仔がいる。そのグレードにより手術が必要になる場合も。小型犬に多い。)、おとこのこであれば睾丸の確認(生まれたばかりの頃、睾丸は腎臓のそばあたりにあり、成長する課程で所定の位置まで下りてくる。所定の位置に下りきらないことを、停留睾丸という。)、ヘルニアの確認など、チェック項目は多岐に亘ります。
 しっかりチェックしていけばいくほど(当然のことを当然のようにしているだけだが)、この仔をお店に連れて来ようと思える仔と出逢えることはそう容易なことではありません。
 そして様々なチェックを経て、お店に連れてくるこいぬを決定したとして、親、兄弟、姉妹たちと離す時期、環境を変化させる時期など、その後の人(犬)格形成を大きく左右する大事な問題なので、時期尚早という場合、連れてきません。時期を待ちます。
 それ故、お店にこいぬがいないという時期があります。
『お店なのにこいぬがいないってどういうこと?』
 なんて思った方もいらっしゃることでしょう。
 お客さまからも
『お店にこいぬがいないと寂しいわ…』
 という意見もいただきますが、こいぬのことを考えればどうすべきか皆様にもご理解いただけるとうれしいです。
 物ではなく、命です。
 慎重に臨んでも臨み足りないくらいです。
 こいぬがお店にやって来るその日を楽しみにお待ちください。
 よろしくお願い致します。

20080901 荒川の土手 空 1


20080901 荒川の土手 空 2


20080901 荒川の土手 空 3


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20080901 荒川の土手 空 6

☆うちの仔と荒川の土手をおさんぽ。
 ゆっくりのんびりとした時間。
 とってもしあわせな時間。

 9月になりました。
 早いですね。
 夏の疲れが出たのか、昨晩、目眩がして倒れそうになりました。
 体調も最悪でまいりました。
 そんな時、友人から
『夏の疲れが出たかな。
 体調悪くて、オシムみたいな目してるよ。
 今日休みだったけど、子供と遊びながら眠っちゃったよ。』
 なんてメールが。
 夏の疲れが出る頃ですので、みなさんもどうぞお気をつけ下さい。

 さて、9月に入り、かなり真剣にお店の立て直しを考えています。
 立て直さなければいけないほどヤバイ状態ということではないのですが、いろいろ考えております。
 まず、今までしてこなかった宣伝に力を入れていこうと思っております。
 わんちゃんとの生活を真剣に考えられている方から、
『こいぬをどこから迎えればいいのかわからなくて…』
 という声をよく聞きます。
 そんな悩みを持たれている方々、こいぬを真剣に探しておられる方々にhundehutteという選択肢を頭の片隅にでもと思っております。

『お店は人が作る』
 と、わたしは常々思っています。
 hundehutte開店より共に働き、hundehutteの礎を築いてくれたトリマーが辞めてから正直、悩んでいました。
 人が変わると、お店はまったくと言っていいほど変わります。
 よく変わることもありますが、その逆もあります。
 あれやこれや、どうのこうのは胸の内に。
 とてもむずかしいです、人は。
 そんな中、8月より共に働いているトリマーが技術的にも人間的にも素晴らしく、ようやくお店の立て直しに力を入れられると思っております。

 お店をやっていくっていろいろあります。
 楽しいことやうれしいことばかりじゃないですね。
 なんてまぁ、これもまた楽しいですが(どっちやねん!)。
 何かあって下降したとして、上がればいいだけですから。
 楽観主義ですかね?(笑)
 ま、日々、がんばるだけです。
 楽しみながら。

20080831深夜におさんぽ1

20080831深夜におさんぽ2

20080831深夜におさんぽ3

20080831深夜におさんぽ4

深夜3時。
うちの仔と夜の街をおさんぽ。
いつ降り出すかわからない雨のせいでおさんぽに出れない日が続いている。
つまらないよね。
しょうがないとはいえ、かわいそうでならない。
深夜、雨がぴたりと止んだ。
これはチャンス!と思い、
『おさんぽ行く?』
と、声をかけると、しっぽぶんぶん振ってた。
おさんぽしたいよね。
ぼくも一緒におさんぽしたいもんね。
深夜の街は誰も歩いていなくて、街をふたり占めしているかのよう。
気分がいい。
なにより、うちの仔のとってもうれしそうな顔が見れてしあわせ。
うれしさのあまり深夜に1時間近くおさんぽ。
ちょっと眠いね。

 わんちゃんは、生後3ヶ月くらいまでの間に、どれだけ見て、聴いて、触れるかによって、人(犬)格形成されます。
 この時期に見なかったもの、聴かなかった音、触れなかったものに対し、警戒心や恐怖感を抱きながら生きていく仔は少なくありません。
 いろいろな経験をしながら社会性や適応力を身につけるこの時期を“社会化期”と呼びます。
 わたしは、hundehutteを始めるにあたり、こいぬの社会化期の重要性をすごく考えました。
 それ故、物件探しの際、次の事項を何よりも優先しました。

●『路面店は絶対避ける』
 車や人の往来が激しいことは、お店を始めるには最良かもしれませんが、こいぬの社会化には適さないと考えたからです。
 こいぬの時期はとにかくゆっくり寝かせてあげることが重要です。
 周りが常にわいわいがやがやしていては、寝られないどころか、落ち着くこともできず、常にびくびくしていなければなりません。
 そんな状況で育つということは、心身にいい影響を与えないと考えました。
 hundehutteは、『大丈夫か?』と思うほどいつものんびりしています(笑)
 これもすべて、こいぬの社会化期を重要視するが故の選択だったのです。

●『緑のそばであること』
 わんちゃんには、土や草や葉を踏みしめる喜びをいっぱい経験させてあげたいと常に思っています。
 『土や草や葉の上を歩くのって気持ちいい』と言ってくれるわけではありませんが、緑の中を、土の上を気持ち良さそうに走るその姿が、気持ちの表れだと思っています。
 ですから、神社のそばというのは最適でした。
 幼い頃から土や緑の上をごろごろ転がったり、時に葉っぱや木の枝をくわえて楽しそうに走り回る姿を見ると、ただただしあわせな気持ちになります。


 そして、こいぬをお店に連れてくる上でこだわったのが、こいぬたちのプライスを掲げないということ。
 ペットショップのショーケースにこいぬたちが入れられ、ガラス面にプライスが掲げられているあの光景。
 迎えられないと、どんどん下がるプライス。
 そして、時にプライスの横に赤や黄色の派手な文字で一際目立つように掲げられる『SALE!』『大特価!』のポップ。
 胸が苦しくなります。
 “わんちゃんたち” を、“命” を、『商品』『売り物』『物』としてしか捉えていないやり方はしたくない。

『プライス表示してないんじゃ売れないよ。売り物ってわからないじゃない。』
 これは、開店時より言われ続けている言葉です。
 わたしは、“命” を前にして『売り物』と平然と口にする方、そういう心持ちの方とは微塵も関わりたくない。
 ましてやお店にいる仔をお渡しするはずもない。
 今も昔も変わらずにある想いです。

 こいぬは、誰に迎えられるかによって、人生(犬生)が決まります。
 だからこそなによりもまず、“この仔を迎えたい” という気持ちが本当にあるのか、そして、その気持ちの強さ(真剣さ)が本物なのかを知りたい。
 迎えてから起こるいろいろなことを乗り越えていくという強さが本当にあるのかを。
 おさんぽをする。ごはんをあげる。トイレの片付けをする。といった日々のお世話はしてあげられるだろうか。
 想像したくないだろうけど、病気や怪我をしてしまうこともあるかもしれません。
 もしそうなった時、誠心誠意、ずっと付き添って看病をする覚悟が自分にはあるだろうか。
 命を迎えるということは楽しいだけじゃないんです。
 お金の話なんかは二の次でいいんです。
 なによりもまず、命を迎えることの重さを真剣に考えてから。


 これはすべて、わたしの、hundehutteのこだわりであります。
 そしてこのこだわりを貫き、お店を続けていくことこそが理想です。
 ただ、最近、わたしのこだわり、理想のためにお店にいるこいぬたちの迎えられる時期を遅らせてしまっているのではないか、妨げになってはいないだろうかと悩むことがあります。
 プライスを掲げていないことで、お店にいる仔、webで紹介されている仔を見ても、この仔がどんな仔なのかわからない。
 この仔は迎えたいという気持ちがあれば迎えていい仔たちなのか、それとも看板犬なのか。明確でないが故に迷わせてしまう。
 社会化期の大事さを考え、車や人の往来が激しい場所を避けたことで、ここにわんちゃんたちがいるということが知られないでいる。
 わんちゃんとの楽しい生活を夢見ている気持ちに水を差すかのように、こいぬを迎えることを今一度考えてくださいと苦言を呈す。
 間違っているとは思わないし、こだわり、理想は曲げることなく貫く所存でありますが、自分はこだわりや理想を貫くだけの力がまだまだ不足している。
 そのせいで、こいぬたちが迎えられる時期を遅れさせている現実に悩み、こいぬたちに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 胸が痛い。
 胸が苦しい。
 理想と現実の狭間でもがいている。


★これは過去に書いたもの。
 今なお、理想と現実の狭間でもがいている。抜け出せずにいる。
 ビションフリーゼのおんなのこちゃんは順調に成長し、表情や動きがとても豊かで、とってもかわいい。愛おしい。
 こんなにもかわいい仔なのに、わたしの元にいるせいで迎えられる機会を失ってはいないだろうか。
 申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 ビションちゃんの笑顔を見るたび、胸が苦しい。


 うちの仔が亡くなって今日で半年。

 あっという間。

 半年なんてあっという間。

 人の気持ちに関係なく、時間は勝手にどんどん過ぎる。

 苦しみや悲しみは時間が解決してくれるー

 そんなの嘘だ。

 月日がどれだけ過ぎようが、悲しみが癒えることはない。

 後悔の念が強くなるばかりだ。

 気が狂いそうになる。

 千切れそうになる。

 あの仔のことをこうして綴っている今も気が狂いそうだ。

 最期の時…

 ひとりぼっちだったんだよなぁ…

 すごい甘えん坊で、母にいつもべったりだったのに、最期がひとりぼっちだなんて…

 なんにも悪いことなんてしてないのになぁ…

 どんな想いだったんだろう…

 寂しかったろうなぁ…

 まっ暗で…

 誰もいないひとりぼっち…

 ごめんな…

 本当にごめんな…

2008071020080709夜1



荒川の土手をうちの仔とおさんぽするのが最近の気分…



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時間がゆっくりと流れ…



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のんびりとしたひととき…



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こんなにもおだやかな時間を一緒にすごせていることは、



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とってもしあわせなこと…



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しあわせを感じれば感じるほど胸が痛いよ…



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あと何年、こうして一緒に同じ風景を見ていられるんだろうなぁ…



2008071020080709夜8



そんなことを考えて涙出るよ…



都会の緑1


都会の緑2


都会の緑3


都会の緑4


都会の緑5


都会の緑6


都会の緑7


都会の緑8


都会の緑9



都会の緑10


都会の緑11

 おさんぽ日和の日が多く、うれしいかぎり。
 自分が子供の頃、梅雨といったら毎日のように雨、雨、雨…だったように思うのだが(外で遊べなくて本当に嫌だった)、近年の梅雨はザッと集中して降ったかと思うと、ものすごくいい天気になる感じがする。
 雨が大嫌いなわたしが、梅雨といってもそこまで苦に感じないものなぁ…
 天気がいいのはうれしいが、降らなければ降らないで何らか影響がありそうだ。
 う〜ん…
 まぁそれはさておき(おくの?)、おさんぽ日和です。
 緑のあるところをいっぱいおさんぽ。
 うちの仔と一緒におさんぽしている時間はとってもしあわせな時間。
 考えられないけれど、この仔と出会っていなかったら、この仔と一緒にいなかったら、自分はどんなふうに生きていたんだろう。
 生きていることをしあわせに感じることはできただろうか?
 大袈裟ではなく、心からそう思う。
 そして、見るもの、聴く音、触れるもの、そのすべても違っただろう。
 何気なく目に映る風景を気にも留めずに生きたに違いない。
 ま、まぁ、見ている風景といっても大した風景ではないんだけれどね(苦笑)
 でもそんな何気ない風景も一緒にいるとしあわせに感じる。
 何気ない風景が、何気ない日常が、しあわせに感じられるというのはとてもすごいこと。
 きみはかけがえのない存在。
 いつもいつもありがとう。

荒川の土手1

荒川の土手2

荒川の土手3

荒川の土手4

荒川の土手5

荒川の土手6

荒川の土手7

 夕刻、うちの仔と荒川の土手へ。
 誰もいなくて、この広い空間をひとり占めしているようで気分がいい。
 ん?ふたり占めだね。
 こんな広い空の下、緑の上を楽しそうに歩くうちの仔の姿が見れてとてもしあわせ。
 元気も回復してきたようだし、本当によかった。
 きみがうれしいならどこへだて連れて行くよ。
 一緒にいろんなところへ行こう。
 楽しいやしあわせをいっぱいいっぱい集めるんだ。
 どんどん陽が落ちていき、夕暮れから夜へと移り変わる空のグラデーションが最高に気持ちいい。
 きみと一緒にいられれば、何気ない日常がこんなにもしあわせに感じられる。
 このしあわせがずっと続きますように。

 どれだけの命が今まで、いや、今なお悲しい目にあっているんだろう。

 気が狂いそうになる。

 獣医さんは動物が大好きで、怪我や病気をした動物を助けたいから獣医さんに…

 そんなのは幻想だということを肝に命じておかなければならない。

 所詮、動物という意識でいる者がいる。

 事実、命をあずかる者として働いていることを到底認めることのできない者は多い。

 なぜだ?

 なぜ獣医師になった?

 動物は口がきけないからやりたい放題できると思ったか?

 法律上、動物は物扱いでしかないから何をしても大した罪に問われないと思ったか?

 下衆な意識、技術、知識、経験の獣医師には反吐が出る。

 そして、獣医師を取り巻く環境、この国の法律にもだ。

「今まで獣医師が免許を取り消されたことは事実上一度もない」(日本動物病院福祉協会関係者)という、まさに野放しの状態は一体どういうことなんだ?

 悪評高い獣医師の処分でさえ、業務停止3年という軽さはおかしいだろ!

 所詮、動物…

 そんな意識が根底にあるということか。

 動物は所詮、動物で、その命の重さは人間のそれより軽いということ…

 理解できないよ…

 同じ命だというのに…

 命の重さが違うだなんて…





ただのいぬ。


ふまれた草はいいました

痛いとか

悲しいとか

みじめなのではなく


ふまれなかった草と

何がちがうのか

それだけを

教えてほしいと


(『ただのいぬ。』文中より)



 毎日見ている犬里親募集や保護犬のサイトには、様々な理由から捨てられている仔たちがいっぱいいます…

 中には理由なんてなく捨てられた仔もいることだろう…

 でもこの仔たちはまだしあわせなのかもしれない…

 保護されることもなく、殺処分される仔たちもいるのだから…


 trimming.webの中の仔たちはみんな、とってもしあわせそうな顔をしている…

 そのしあわせそうな顔を見ていると、ぼくもしあわせになる…


『何がちがうの?』

 捨てられる仔、殺処分される仔はいいました…

 胸が裂けそうになる…

 涙があふれてくる…


 ぼくもそう思うよ…

 なんでこんなことになってしまっているんだろう…

 ごめんよ、ごめんよ…

 本当にごめんよ…


 みなさんも知っておいてください…

 命が捨てられている現実を…

 そして、忘れないでください…

 命が処分されているということを…


 すべての仔が笑顔ですごす日々を迎えられますように…





黒いラブラドール

 今週いっぱいお客様のわんちゃんをおあずかりしている。
 黒い毛のラブラドール・レトリーバーのわんちゃん。
 15時からおさんぽに出るのが日課。
 今日も15時から1時間ほどおさんぽをした。
 おさんぽの途中、一年ほど前にラブラドール・レトリーバーのわんちゃんを亡くされた方とお会いしてしまった。
 してしまったというのは、おさんぽしているラブラドールの仔を見て、一緒に暮らしていたラブラドールの仔を思い出させてしまうのではないかと思ったのである。
 その方とは数年前から面識があり、ラブラドールの仔をとても可愛がっていたのを知っている。
 同じラブラドール・レトリーバー、同じ黒い毛、同じ性別…
 一緒に暮らし、愛した仔を思い出さないわけがない。
 それなのに…
 しかし、そんなわたしの考えをよそに、その方はわたしとラブラドールの仔を快く迎えてくれた。
『うちの仔と会ったことあるかなぁ…』
『日差しがあたたかくすごしやすいけど、ラブちゃんがおさんぽするにはまだちょっとあついかなぁ…』
『毛が黒いからフケが目立つのはしょうがないのよねぇ…』
『ちょっと白いのが混じっているわねぇ…』
『元気でね、元気でね…』
 ラブちゃんを思いやるやさしいお言葉に胸がぼうっとなりました。
 一緒に暮らした仔が亡くなって、もうわんちゃんと暮らすことはないと以前、おっしゃられていた。
 すこし元気がないように感じるのは、わたしの勝手な思いだろうか。
 わんちゃん想いのとてもやさしい方なので、いつかまたわんちゃんと一緒に暮らすしあわせを感じてもらいたい。
 そしてまたあの笑顔を見せてもらいたい。
 これはわたしの勝手な願いだけれど。





 わんちゃんは、生後3ヶ月くらいまでの間に、どれだけ見て、聴いて、触れるかによって、人(犬)格形成されます。
 この時期に見なかったもの、聴かなかった音、触れなかったものに対し、警戒心や恐怖感を抱きながら生きていく仔は少なくありません。
 いろいろな経験をしながら社会性や適応力を身につけるこの時期を“社会化期”と呼びます。
 わたしは、hundehutteを始めるにあたり、こいぬの社会化期の重要性をすごく考えました。
 それ故、物件探しの際、次の事項を何よりも優先しました。

●『路面店は絶対避ける』
 車や人の往来が激しいことは、お店を始めるには最良かもしれませんが、こいぬの社会化には適さないと考えたからです。
 こいぬの時期はとにかくゆっくり寝かせてあげることが重要です。
 周りが常にわいわいがやがやしていては、寝られないどころか、落ち着くこともできず、常にびくびくしていなければなりません。
 そんな状況で育つということは、心身にいい影響を与えないと考えました。
 hundehutteは、『大丈夫か?』と思うほどいつものんびりしています(笑)
 これもすべて、こいぬの社会化期を重要視するが故の選択だったのです。

●『緑のそばであること』
 わんちゃんには、土や草や葉を踏みしめる喜びをいっぱい経験させてあげたいと常に思っています。
 『土や草や葉の上を歩くのって気持ちいい』と言ってくれるわけではありませんが、緑の中を、土の上を気持ち良さそうに走るその姿が、気持ちの表れだと思っています。
 ですから、神社のそばというのは最適でした。
 幼い頃から土や緑の上をごろごろ転がったり、時に葉っぱや木の枝をくわえて楽しそうに走り回る姿を見ると、ただただしあわせな気持ちになります。


 そして、こいぬをお店に連れてくる上でこだわったのが、こいぬたちのプライスを掲げないということ。
 ペットショップのショーケースにこいぬたちが入れられ、ガラス面にプライスが掲げられているあの光景。
 迎えられないと、どんどん下がるプライス。
 そして、時にプライスの横に赤や黄色の派手な文字で一際目立つように掲げられる『SALE!』『大特価!』のポップ。
 胸が苦しくなります。
 “わんちゃんたち” を、“命” を、『商品』『売り物』『物』としてしか捉えていないやり方はしたくない。

『プライス表示してないんじゃ売れないよ。売り物ってわからないじゃない。』
 これは、開店時より言われ続けている言葉です。
 わたしは、“命” を前にして『売り物』と平然と口にする方、そういう心持ちの方とは微塵も関わりたくない。
 ましてやお店にいる仔をお渡しするはずもない。
 今も昔も変わらずにある想いです。

 こいぬは、誰に迎えられるかによって、人生(犬生)が決まります。
 だからこそなによりもまず、“この仔を迎えたい” という気持ちが本当にあるのか、そして、その気持ちの強さ(真剣さ)が本物なのかを知りたい。
 迎えてから起こるいろいろなことを乗り越えていくという強さが本当にあるのかを。
 おさんぽをする。ごはんをあげる。トイレの片付けをする。といった日々のお世話はしてあげられるだろうか。
 想像したくないだろうけど、病気や怪我をしてしまうこともあるかもしれません。
 もしそうなった時、誠心誠意、ずっと付き添って看病をする覚悟が自分にはあるだろうか。
 命を迎えるということは楽しいだけじゃないんです。
 お金の話なんかは二の次でいいんです。
 なによりもまず、命を迎えることの重さを真剣に考えてから。


 これはすべて、わたしの、hundehutteのこだわりであります。
 そしてこのこだわりを貫き、お店を続けていくことこそが理想です。
 ただ、最近、わたしのこだわり、理想のためにお店にいるこいぬたちの迎えられる時期を遅らせてしまっているのではないか、妨げになってはいないだろうかと悩むことがあります。
 プライスを掲げていないことで、お店にいる仔、webで紹介されている仔を見ても、この仔がどんな仔なのかわからない。
 この仔は迎えたいという気持ちがあれば迎えていい仔たちなのか、それとも看板犬なのか。明確でないが故に迷わせてしまう。
 社会化期の大事さを考え、車や人の往来が激しい場所を避けたことで、ここにわんちゃんたちがいるということが知られないでいる。
 わんちゃんとの楽しい生活を夢見ている気持ちに水を差すかのように、こいぬを迎えることを今一度考えてくださいと苦言を呈す。
 間違っているとは思わないし、こだわり、理想は曲げることなく貫く所存でありますが、自分はこだわりや理想を貫くだけの力がまだまだ不足している。
 そのせいで、こいぬたちが迎えられる時期を遅れさせている現実に悩み、こいぬたちに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 胸が痛い。
 胸が苦しい。
 理想と現実の狭間でもがいている。





 やる気、情熱のある人と出会えると心からうれしいし、とても刺激になる。

 知識、技術、経験が大事なことは重々理解しているが、わたしは、やる気、情熱を優先する。

 わたし自身、知識も技術も経験もなくこの仕事を始めた。

『知識や技術、そして経験がないのなら情熱でカバーするしかない。』

 そう思ってこの仕事を始めたし、今でもそう思っています。

 誰もがスタート時は、知識も技術も、ましてや経験なんてないわけだし。

 しかし、いずれ、やる気、情熱だけでは命と対峙してはいけないことを知ります。

 知識、技術、経験が自分にないことの無力さを痛感します。

 自分の無力さによって、わんちゃんを傷付けてしまうことがあるかもしれない…

 かけがえのない命と心から思っているのに、知識がないから、技術がないから、経験がないから傷付けてしまう…

 こんな悲しいことってないよ…

 だからこそ、知識は、技術は学ばなくてはならないのです。やる気と情熱を持って。

 そしてここで一つ言えることは、なぜ学ぶべきかを知る者は強いということです。

 単位取得のため、お金儲けのため、そんな理由のために学ぶ輩とはまったくもって違います。

 やる気と情熱も持って学べば、知識も技術もきっと身に付きます。

 やる気と情熱を感じ、助けてくれる人もきっといるはずです。

 やる気と情熱の炎はとても大切です。

 だから、どんなことがあってもたやしてはいけないのです。

 挫けそうになったり、負けそうになっても、たやしてはいけないのです。

 その炎が、その心が、わんちゃんを、そして、そのわんちゃんの家族みんなを笑顔にするからです。

 みんなの笑顔のためにも挫けてはいけないのです。

 わたしがなぜこれほどまでにやる気や情熱といった心を大事に思うのかというと、まわりを見渡してみて、知識や技術、そして、経験がどれだけあろうが、心のない者の多さに嫌気がさしているからでもあります。

 悲しいかな現実。

 一番大事な心がないなんてね…

 おこがましくもあずかっているものは “命” であるということを忘れている者にはイライラする。

 忘れたのだか、元からなかったのかはわからないが。

 そして、慣れ、奢り、気のゆるみ…

 クソの役にも立ちやしない。

 なぜ年数を積んだくらいで慣れるんだ?

 なぜ技術を持ったくらいで奢るんだ?

 なぜ命を前にして気をゆるめることができるんだ?

 教えてくれ、なぜだ?

 対峙しているのは、かけがえのない命だぞ。

 そして、そのわんちゃんを愛する家族がいることを忘れてはいないか?

 気軽にいられるはずがない。

 わたしは今でも、そしてこれからもやる気と情熱の炎をたやさない。





 雨がすごくなってきました。
 風もすごくなってきました。

 台風が近づいてきているそうです。
 風の音に、窓に叩き付ける雨の音に、わんちゃんは怖がっていませんか?

 そばにいてあげてください。
 そばにいてくれるだけで落ち着くと思うんです。

 時間に余裕があるのなら、からだをなでてあげてください。
 安心すると思うんです。

 ゆっくりお休みされているのなら、一緒に寝てあげてみてください。
 わんちゃんの目線におりてあげると、新しい何かに気付けると思うんです。

 こんなふうに見ているんだね…
 ほこりってけっこうたまるんだね…(ごめん…)

 鼻の表面って、乾くと黒いメロンみたい(笑)
 あんなにぷよぷよだった肉球… 固くなったね…

 鼻息がくすぐったいよ…
 手がぽかぽかだね……

 心臓の鼓動を感じる…
 こんな小さなからだでちゃんと生きているんだね…

 今いる距離より少し近づくだけで、
 もっともっと愛おしくなる…





押井守氏『犬を飼うということは…』1

押井守氏『犬を飼うということは…』2
『BRIO』2004年7月号


 胸がつまりました…

 想いに、言葉に胸がつまりました…




 世の中、悪いことばかりではないけれど、人は嘘をついたり、裏切ったりする。これは紛れもない現実。
 『言葉が話せないから何を伝えようとしているのかわからない』という人もいるけど、犬たちは、うれしい、かなしい、つまらない… 自らの感情をとても素直に、正直に表現してくれる。
 言葉というコミュニケーションツールを持つ人間同士、その言葉がすべて真実であることってあるのだろうか。
 『言葉が話せないから…』といわれる犬たちの方が、よっぽどわかりやすい。
 そして、信じられる。
 すべてが真実だから。
 素直で正直でいてくれるきみを愛す。
 真実を伝えてくれるきみを愛す。

 ここに、共感し、涙を流した論を紹介したいと思う。
 十九世紀にアメリカで起きたある犬の射殺事件。それを訴えた飼い主の弁護人、ミズーリ州の上院議員ジョージ・グレアム・ベストの陳述した有名な弁護論である。
 法廷でこれを聞いた被告側の弁護士は、
 『それは、かつて聞かれたもののうち、もっとも完璧な演説だった。裁判官も弁護士も魅惑された。とくに裁判長はまるで親友を失った人のように涙をこぼしていた。』
 と、語っている。
 評決には、たった二分しかかからなかったという。


 ー人間がこの世で持つ最良の友も、彼に反し敵となることがありましょう。彼が愛情こめて育て上げた息子や娘も、親不孝となることがありましょう。私どもが自分の幸福と名声を任せる者さえ、その信頼を裏切ることがありましょう。人の持つ富は失うこともありましょう。富は人がもっとも必要とするときに、人から飛びさってしまうものです。
 人の名誉は、何か一つ人によく思われない行為があった途端に地に堕ちます。成功が私どもと共にあるときは腰をかがめて我々を崇める人々も、一旦失敗がその雲を我々の頭上に覆うや、まず悪意の石を我々に投げる最初の人ともなるでありましょう。
 この利己的な世の中で、人が持ちうる唯一の絶対に非利己的な、決して彼を棄てず、決して恩を忘れたり裏切ったりせぬ友は犬であります。
 陪審員諸君、人の持つ犬は、富む時も貧に悩む時も、健康の時も、病気の時も、その主人の味方である。犬は冬の寒風吹き荒び、雪が激しく降るときにも、その主人の側近くにおることさえできれば冷たい地面にも寝るのであります。彼は、自分にくれる食物を持たない手にも接吻し、世の荒波と闘ってできた傷も舐めてくれます。彼は貧しい主人の眠りをあたかも王侯にたいするのと同じく番をするのであります。
 他のすべての友が去っても彼だけは残っています。富が飛び去り、名声が粉々になっても彼の愛情はちょうど空を旅する太陽のように不変であります。運命が彼の主人を友もなく、家もなく、地の果てへ放り出しても、忠実な犬は主人について危険から主人を守り、その敵と戦うより以上の特権を求めないのであります。
 そうして、遂にすべてが終わって、死が主人を抱き、その体が冷たい地面に横たわると、他のすべての友はおのおの勝手な方向に行ってしまっても、その気高い犬は墓の側にあって頭を前脚の間に垂れ、目は悲しげに、しかし、聡く(さとく)見張って大きく開き、死に至るまで忠実で真実であります……。
(『パートナー・犬』1997年7、8月合併号参照)



 自分のすべてを注いでもまだ足りない。




 明日で9月も終わりです…

 9月…

 9.11…

 あの日から6年という歳月が経過しました…

 あの日を境に世界は変わった…

 平和ぼけしているわたしたち日本人には、遠い、遠い国のことのよう…

 痛み… 苦しみ… 哀しみ…

 わかっているようでなにもわかってやしない…

 わかるはずもない…

 すでに忘れかけてさえいるのだから…



 数年前、ふと、入ったギャラリー…

 いくつものキャンドルが所狭しと灯されていた…

 その灯りは、心のずっとずっと奥のほうに触れてきて、時間を忘れ、ずっとずっと見ていた…

 9.11から世界は変わった…

 その世界から目を背けないよう、あの日から彼は、ずっとキャンドルを灯し続けている…

 Candle JUNE ーキャンドル・ジュンー

 9.11を忘れることのないよう…

 そして…

 世界の戦争を終わらせるために…

9.11 3

 2002年、アメリカを巡る旅をした報告を兼ね、キャンドルの展示をギャラリーにて。
 そのギャラリーに書いてあったこの一文が、胸にずっと突き刺さっている。
 これは、その場ですぐその言葉をメモしたもの。当時、自分が書いた字。なぐり書き。 
 この言葉から自分は変わったなんて格好よすぎる。だから、違う。
 ただ、ずっと心から離れずにいる言葉。
 『自分は?』
 そう、自らに問いただす。
 
9.11 1
2002 Candle Odyssey -911-

9.11 2
2002 Candle Odyssey -911-





 こいぬを迎えるということは、命を迎えるということー。

 それ故、いっぱい悩む気持ちもわかります。私自身、ものすごく悩みました。

 ちゃんと育てられるだろうか…

 日中、留守がちになってしまうけど、ひとりにしてしまって大丈夫だろうか…

 噛んだり、吠えたりは大丈夫だろうか…

 トイレをおぼえてくれるだろうか…

 人それぞれ、家庭それぞれ、いろいろな悩みを抱かれます。

 どれだけ悩んでもいいと思います。

 ただ…

 何よりも大事なことは、『この仔を迎えたい』と、心が強く想ったかどうかです。

 『この仔を迎えたい』と、想いを抱いてくれた方に迎えられたら、わんちゃんはしあわせです。

 悩みや不安は、乗り越えていくんです。

 『この仔を迎えたい』と強く思える仔との出会いは、そうあるものではありません。

 むしろ、“ない”と思ってください。

 同じ犬種、同じ性別、同じカラー(毛色)、同じような体格・サイズ、同じような性格、同じような…

 そんな仔と出会うことはできます。

 それで、あなたの心は動きますか?

 『この仔を迎えたい』と。

 きっとならないでしょう。

 “出会い”というのは、“奇跡”です。

 どんなに出会いたくても、出会えない人は出会えません。

 今、目の前にいるその仔は、世界にたったひとりしかいません。

 他の誰かに迎えられてから後悔しても、もうその仔とは会えませんよ。





 hundehutteを始めるにあたり、社会化期の重要性をすごく考えました。
 それ故、物件探しの際、次の事項だけは何よりも優先しました。

●『路面店は絶対避ける』
 車や人の往来が激しいことは、お店を始めるには最良かもしれませんが、こいぬの社会化には適さないと考えたからです。
 こいぬの時期はとにかくゆっくり寝かせてあげることが重要です。
 周りが常にわいわいがやがやしていては、寝られないどころか、落ち着くこともできず、常にびくびくしていなければなりません。
 そんな状況で育つということは、心身にいい影響を与えないと考えました。
 hundehutteは、『大丈夫か?』と思うほどいつものんびりしています(笑)
 これもすべて、こいぬの社会化期を重要視するが故の選択だったのです。

●『緑のそばであること』
 わんちゃんには、土や草や葉を踏みしめる喜びをいっぱい経験させてあげたいと常に思っています。
 『土や草や葉の上を歩くのって気持ちいい』と言ってくれるわけではありませんが、緑の中を、土の上を気持ち良さそうに走るその姿が、気持ちの表れだと思っています。
 ですから、神社のそばというのは最適でした。
 幼い頃から土や緑の上をごろごろ転がったり、時に葉っぱや木の枝をくわえて楽しそうに走り回る姿を見ると、ただただしあわせな気持ちになります。

20070921 のんびり〜
のんびり〜(大丈夫か?笑)

20070921 すぐそばにある緑
すぐそばに

20070921 緑いっぱい
静かで緑いっぱい

20070921 こいぬの目線はこんな感じ
こいぬの目線で見てみるとこんな感じかな

 こいぬは、自分で自分の生きる環境を選べません。
 環境は、私たち人が整えてあげなければならないのです。
 いろいろなものを見て、聴いて、触れ、社会性、適応力を身につけ、人(犬)格形成される社会化期を、ゆっくりあたたかい気持ちで見守っていきたいと思います。





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