犬も飼い主も幸せに暮らせるために、現代のペットは犬種の旧来の役割とほぼ無縁
ドッグトレーナーのローラ・シャーキー氏は、保護犬を引き取った飼い主が、攻撃性などの深刻な問題行動に悩んで犬を手放したり安楽死させたりする事例の多さを見て、トレーナー仲間と一緒に2019年に「ボースン・ドッグズ(Bosun Dogs)」を設立した。「すべての犬と、犬を飼いたい人のために私にできる最善のことは、飼いやすい犬を繁殖させることだと考えたのです」
米国では近年、シャーキー氏のように、純血種であることにこだわらず、健康で友好的なペットになる犬を育てる「機能的繁殖(functional breeding)」の動きが小規模ながら広がりつつある。
シャーキー氏はミックス犬の繁殖を行っているが、それは「ゴールデンドゥードル(ゴールデンレトリーバーとプードル)」「チワックス(チワワとミニチュアダックスフンド)」「ポンスキー(ポメラニアンとシベリアンハスキー)」などのハイブリッド(デザイナーズ)ドッグではない。特定の体格や大きさや被毛も目指していない。「子犬の外見にはこだわっていません。健康と気質以外の遺伝的圧力はかけないようにしています」
「米国の犬は、良いコンパニオンアニマル(伴侶動物)であることが最も重視されます。私は、良いコンパニオンアニマルとなる犬を繁殖させたいのです」とシャーキー氏は続ける。氏は生後8週間から10週間の子犬を販売していて、その平均価格は1頭約2000ドル(約28万円)であるという。
シャーキー氏は、自分たちの子犬に、純血種に代わる価値を与えたいと願っている。米国では純血種の子犬の約3分の1を大規模ブリーダーが繁殖させている。ミネソタ州ロチェスターで犬の訓練センターを経営するサラ・ロイシェ氏は、大規模ブリーダーの多くは、健康な繁殖犬を選ぶことや、子犬のための環境エンリッチメントにあまり配慮していないと言う。
純血種の子犬の健康と福祉を心配する人々の中には、保護犬を引き取りたいと考える人もいる。けれども今は昔とは状況が違う。20年前には保護施設が新しい犬を受け入れるために古い犬を安楽死させるほど保護犬が多かったが、今では、米国北東部、中部大西洋岸、西海岸などの需要の高い地域では、保護犬が欲しくてもなかなか見つからないとロイシェ氏は言う。
問題行動が出にくい犬を
愛玩犬として特別に繁殖された犬種は別として、多くの犬種は、牧羊犬、番犬、狩猟犬などの使役犬としての背景を持っている。対して今日、特に欧米諸国では、人々は主にペットとして犬を飼っている。
ニューハンプシャー州の非営利団体「ファンクショナル・ドッグ協会(Functional Dog Collaborative)」の会計責任者であるジョイス・ブリッグズ氏によれば、バランスの良い家庭犬というカテゴリーはなく、こうした犬を作り出そうとするブリーダーはほとんどいないという。
しかし、米国人が飼い犬を手放す主な理由の1つは行動問題であり、その対応は困難で時間がかかる。
この問題に対処するため、犬の遺伝学者で獣医師のジェシカ・ヘクマン氏は、2020年にファンクショナル・ドッグ協会を設立した。この国際組織の目標は、「より健康で、ペットとしての生活に適した行動特性をもつ犬を作り出すために、従来とは違った方法で、新しい犬の繁殖文化を構築する」ことだと氏は言う。
へクマン氏によると、この団体のFacebookの非公開グループには現在1万2000人近い会員がおり、約半数がブリーダーだ。
「私たちは、犬を家族の一員として迎える喜びを人々に知ってもらいたいという目標を、責任あるブリーダーたちと共有しています」と言うのは、全米動物虐待防止協会(ASPCA)の行動チームのパメラ・リード副会長だ。「責任あるブリーダーは、残酷な行為で利益を得る商業ブリーダー、ブローカー、ペットショップ、オークションなどのやり方を拒否し、慎重に繁殖を計画し、思慮深く犬を配置し、繁殖した動物に対して生涯にわたり責任を負います」
犬種に特有の健康問題も
こうした動きの背景には、一部の犬種の健康問題がある。例えば、キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルは8歳までにほぼ確実に心臓病を発症する。また、根強い人気のフレンチ・ブルドッグのように、気道の構造のせいで呼吸が困難になる犬種もある。
へクマン氏によると、犬の性格の15〜20%は遺伝によって決まるという。さらにブリーダーも、母犬をよくケアすることや(母犬のストレスは子犬の発育に影響を及ぼすおそれがある)、幼い子犬にポジティブな経験をさせたりすることで(ポジティブな経験は成犬になってからの自信を高める)、良い家庭犬に育てることができる。
責任あるブリーダーは、子犬のマイクロチップに飼い主だけでなく自分の連絡先も登録し、飼い主になじめなかった子犬は自分で引き取るので、彼らが育てた犬が保護犬になることはまずない。
アリゾナ大学アリゾナ犬認知センターのエバン・マクリーン所長は、機能的繁殖の動きを高く評価している。
マクリーン氏は、米国の犬の行動問題が悪化していることを裏付ける証拠はないが、現在の犬の繁殖状況を考えると、その可能性は否定できないと指摘する。「私たちには、もっと良いペットになる犬を作り出す技術がありますし、そうするべきなのです」と氏は言う。
「今日の西洋社会では、犬の多くはペットとして飼われています。ペットに求められる特性は、人間の子どもやほかの犬を噛まないことや、飼い主がスーパーに買い物に出かけるときにパニック発作を起こさないことです。けれども私たちは、そのような特性を持つ犬を作り出そうとはしてきませんでした」
ペットに適した犬の基準とは
ヘクマン氏は、目標と基準を共有するブリーダーのネットワーク作りをめざしている。このようなネットワークを介して子犬を購入する人は、ブリーダーの方針を明確に理解することができる。また、メンバーのブリーダーは繁殖用の犬を共有するなど、互いに助け合うことができる。
非営利の全国ブリーダーネットワークであるコンパニオン・ドッグ・プロジェクトはその一例だ。会長のキャロライン・ケリー氏は、加盟しているブリーダーの数を現在の25人からさらに増やしたいと考えている。
ケリー氏も、飼い犬のラブラドール・レトリーバー「ルーシー」の繁殖を始めた。その理由は、ルーシーが「丈夫で、何事にも動ぜず、どこにでも行けて、何でもできて、人間が大好きで、飼い主がごろごろしている日には自分も寝ているような犬」だからだという。「私たちは、家庭のペットとなることを目的とした犬の繁殖について、基準を定めたいのです」
この目標を達成するため、ネットワークは純血種の登録に使われているような登録機関を北米で立ち上げようとしている。間もなく公開されるこのデータベースでは、健康や気質の基準を満たした犬を調べられ、その血統や健康診断の結果のほか、販売された子犬に対する飼い主のフィードバックも閲覧できるようにするつもりだとケリー氏は言う。
「犬の繁殖には多くの関心が寄せられています。必要なのはインフラであり、サポートシステムであり、モデルです」
NATIONAL GEOGRAPHIC 2023.8.6付記事抜粋
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